社会福祉法人 キリスト教児童福祉会 聖母愛児園(児童養護施設)

概要

 

ページの目次

当園の基本

「あなたがたは、もはや外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族である」
エフェソの信徒への手紙第2章19節
当園は、日本カトリック教会、マリアの宣教者フランシスコ修道会(宗教法人)が設立母体ですが2005年10月1日より「社会福祉法人キリスト教児童福祉会」が設立の精神を引き継ぎました。その精神的支柱はキリスト教精神です。キリスト教精神を一言で言えば「愛」です。
わたし(キリスト)が愛したように、あなた方も互いに愛し合いなさい。
ヨハネ福音書13章34節
神は愛です。神は、独り子(キリストのこと)を世にお遣わしになりました。その方によって、私たちが生きるようになるためです。ここに、神の愛が私たちの内に示されました。
ヨハネの手紙1の4章8~9節
聖書の中にはこのように述べられています。

理念を生かす

当園の理念であるキリスト教精神に基づき、神の家族として明るい雰囲気の中で児童一人ひとりの個性を尊重し、児童の持っている素質を十分に伸ばすように努めています。

支援方針

人と人とが共に生活するということはどういうことか?それは、お互いがその年齢にあった役割と、責任を担い、協力し合い、人のためになる人間として、必要なことに協力を惜しまない人に成長するよう支援していきたい。

サービスの特徴

敷地面積5,241㎡の中に、児童養護施設本体、子育て短期支援事業、親子生活訓練室、心理療法室、地域交流ホール、職員宿舎の設備を有しています。また、児童家庭支援センターを敷地内に併設しています。敷地外で地域小規模児童養護施設を運営しています。
子どもたちの育成を支援するシステムとして小舎制を採用しています。敷地面積の制約もあり、戸建て形式は困難であったため、マンション形式としています。
私たちは、小規模グループケアの単位を「ホーム」と表現していますが、6名から8名の子どもたちが生活するホームが、12ホームあります。
ホームの児童構成は、男女混合の年齢縦割りとしています。いわゆる疑似兄弟の様相を呈しています。支援する職員は、保育士2名と、児童指導員が2ホーム1名、そして、4ホームに対して、主任を1名配置し、子どもたちの安心安全な生活を守っています。
子どもたちは、5LDKの間取りの中で生活しています。設備は、一般のマンションと同じで、福祉施設らしさを一切排除しています。外見的にも、3階建てのマンションにしか見えません。
子どもたちの食事については、栄養摂取管理、食材の品質管理、衛生管理を徹底しています。朝食(弁当作り含)と夕食は、保育士や児童指導員が調理します。昼食は、調理員が調理します。
私たちは、可能な限り同年代同世代の子どもたちの家庭生活と同じような環境で子どもたちの成長が育まれるように支援しています。
要望解決第三者委員会を設置し、子どもたちが、いつでも自分の意志表明が出来るように配慮しています。又、第三者評価の実施や、内部自己評価も積極的に実施しています。 クラブ活動にも取り組んでいます。学校の部活や地域の活動もありますが、子どもたちの趣味や特技の拡がり、情操教育の一環、パソコン教室等では技能習得など、生活に潤いを提供しています。
子どもたちとその成長を促す職員、双方が寄り添いながら家庭的な生活を作り上げ、経験を重ねていく営み。そこには、数多くの不安や迷いも生じます。それを子どもたちと共に乗り越え、一般的な家庭の概念を超えた、聖母愛児園らしい子育て環境をこれからも提供していきます。

ホームでの生活支援

生活ホームは、5つの居室とリビング、キッチン、ダイニングを配し、風呂とトイレ(2か所)を設けています。児童の個別な空間の確保を考えて、高齢児童の居室は個室を利用します。そして、家庭的な養育を重んじる為に、各ホームでの調理は担当者が行います。生活のウェイトの多くを占める食事を、担当者自ら賄う事で、児童に対して“食”の観点からの生活支援を行います。
又、小規模グループケアの特性を生かし、自らの生活を主体的なものとしながら基本的生活習慣を身につける事や、同ホーム児童、担当者と強調しながら思いやりの心を育むよう支援を行っています。

施設内虐待防止

児童養護施設をはじめ多くの児童福祉施設には、社会的養護を必要としている児童が入所していますが、その多くは被虐待を経験して心に傷を負っています。児童養護施設はそれらの児童の生活の場であり、傷を癒す場です。しかし、今まで虐待者から受けてきた理不尽な関係性を、施設生活において職員や他児などへの関わりの中に再現してしまう傾向にあります。その結果、様々なトラブルに発展しやすく、職員においては被虐待児の関係性のとり方に巻き込まれてしまうと施設内虐待へと発展する恐れが考えられます。これを防ぐために、職員間でリスク管理を行い子どもへ対応するように努めて行きます。具体的な方策は職員間のミーティングなどで深めて行きます。
とりわけ、小規模グループケアでは独立したホーム体制が故に、発生した問題が表面化しづらいという感があります。ホームの間の風通しの悪さが懸念されるので、その予防や対策を施設全体の取り組みとし、問題発生の際についても具体的な取り決めを行います。

児童の意見表明

ホーム生活全般における児童の要望については、児童が自らの生活に主体性が持てるよう、また、権利擁護の観点からも、積極的に受付システムとして確立しています。
・要望解決責任者(施設長)、受付担当者へ直接、意見表明を行う。
・意見用紙に意見を記入し、意見箱に投函する。(第三者委員への表明も含)
・聖母愛児園要望解決第三者委員に直接連絡し、意見を表明する。
・子ども運営委員会へ意見表明を行う。
要望を受け付けた場合には、受付担当者が即座に対応し迅速に解決するように務めています。

施設見学概要

正門(正面)
・マリア像と聖母愛児園の表札は、歴史の証人として後生に伝えたいと残しました。
・壁面の文字は、「オイケーオイトゥーセウ」と読みます。ギリシャ語で「神の家族」と言う意味です。
・設計士に対して「福祉施設には見えない、地域に溶け込めることができる建物に」との設計方針を提示しました。
静養室
・子ども達が感情的になった際に、心を落ち着かせることが出来る部屋として使用しています。
・職員や保護者、CWとの面会や話し合い等で使用する事もあります。
職員室
・職員一人一人のデスクを置かず、共用で使う方式を採用しています。最近の一般企業によくある形態です。
・処遇記録システム・グループウェアを導入しています。処遇記録や掲示板、職場内メール、設備予約等を記入し、情報共有の手段としています。
会議室
・ミーティング等にプロジェクターを使用する事もあります。エコ活動の一環としての紙の削減を目的としています。
園内保育(エンジェル)
・1歳~5歳までの子ども達の日中保育の場所として非常勤職員を雇用し運営中です。
・子ども達が冬場、直に床に座ることができるように、床下暖房を採用しています。
・外と室内の入口をフラットにし、安全に遊べるようにしています。
・プレイルームと食堂の仕切を取り払い、広い空間になるようにしています。
・エンジェルのトイレには、子ども達の羞恥心を養うために仕切りを付けています。ただし、安全面を考慮して簡単に仕切りは取れるようになっています。
調理室・食堂
・本来なら90名定員の施設なので食堂を広くする必要がありますが、当園の子ども達は通常、各ホームで食事を摂るため、この食堂は、主に職員の昼食場所等で使用しています。
ボランティアルーム
・長年活動して頂いているボランティアグループがあり、ボランティアルームを用意しています。
・ボランティアの方が気軽に使用できるよう、給湯室をボランティアルームの近くに設けています。
地域交流ホール
・将来的に聖母愛児園の子ども達と、地域の方々の交流スペースにしたいと考えています。
・地域の方々に気軽に活用してもらえるようなスペースにしています。(会合、サークル等で予約していただいています。)
エレベーター
・ハートビル法という法律で障害を持った方が、建物のどこにでもアクセスできるように義務付けられており、エレベーターと渡り廊下を設置しています。
児童家庭支援センター(スタッフルーム)
・相談員2名、心理療法士1名。
・児童相談所と、類似した業務を行っています。
セラピー室
・玄関 子どもたちが日常生活の場面とセラピー場面の切り替えが容易に行えるよう、あえてセラピー室専用の玄関を設けています。
相談室3
・聖母愛児園の心理療法事業として、主に聖母愛児園の心理療法士が使用しています。
プレイルーム
・カーテンの無い部屋にしました。多動性のある子ども達が、カーテンにこだわりを持たないように配慮しています。
箱庭療法室
・箱庭の砂がこぼれたとしても、掃除がしやすいように特別な床面となっています。
窓のないセラピー室
・主に、年長児のカウンセリングなどに使用します。
ファミリーホーム
・心理療法の一つである家族療法に使用します。また、遠方から来る保護者が泊まれるようになっています。
ホーム(児童ホーム)
・12ホーム。定員90名、各ホーム6名~8名。
・ホームで食事作りをする際に子ども達と一緒に調理できるよう、オープンキッチンにしています。
・室内で火を出さないよう(防火対策)、IHを採用しています。
・家具、カーテンは、専門のデザイナーのアドバイスを取り入れました。
・防犯対策として、正門、裏口にカメラを設置しています。職員室のモニターに映るようになっています。又、各ホームの玄関のインターフォンで相手の顔が分かるようになっています。
・非常階段は、中から外には出られますが、外から中には入れないようになっています。
・子ども達の部屋にエアコンが付いていますが、子ども達による消し忘れ、悪戯を防止するため、スタッフルームで電源管理ができるようになっています。
・2ホームは、ショートステイ、トワイライトステイを受け入れられるホームとなっています。定員8名の他に、2名の受け入れが可能となっています。
その他
・隣町の本郷町に、地域小規模児童養護施設本郷ホームを運営しています。定員6名です。

食育

栄養計算、食材の買い出し、調理のプロセス等にも子どもたちが関わることが大切です。可能な限り、子どもたちが体験できるよう工夫をしています。
幼い子供たちは初めてみる食べ物の色や味・香りに興味を持ち、食事の時間には箸の持ち方や食事中のマナーを教わります。
嫌いな食べ物がある時は苦労する事もあるでしょう。
小学生にもなると食事の準備や後片付けの手伝いや、ちょっとした料理もできるようになり、園や学校などで野菜を栽培したり、食品の流通についても学ぶ機会が増え、食に関する知識も一層ついてくる頃です。
また、年間の行事食(お節料理や節句、冬至など)の時は四季折々の味覚を楽しみながら、日本の文化や伝統を学びます。
中学生や高校生になるころには自分で作れる料理の数も随分増え、栄養に関する知識も持つようになるでしょう。
このような事は特別な勉強ではなく、生活を送る中で自然と身についていくものです。 逆にこれらの事を言葉で教わったり、教科書を読んで短期間のうちに習得しようとしても出来るものではありません。
つまり子供たちが日常生活の中で食に興味を持ち、それらに関わる知識を養う機会をどれだけ整える事が出来るかが私たち職員の手にかかっている事になります。
しかし私たちは子供たちがこれらの知識や能力を身につける事自体を望んでいるわけではありません。真の願いは将来子供たちが自立した時、持っている知識や能力を生活に生かし不自由なく生活できる事、「自立した食生活が送れる事」です。
人にとって食・栄養は生まれたその時からこの世を去るその時まで誰もが関わる大切な ことです。
将来子供たちが大人なった時、この生活の中で得た物が一つでも役立ってくれればと願っています。

今後に向けて

子どものケアの充実を図るために、生活支援者である職員の資質向上は欠かせません。職員もまた安心して養育が行えないのであれば、養育に当たっている子どもたちに影響します。専門職としての職意識の向上と、その価値を職員自ら感じられる様な環境づくりに配慮していきます
国の示す「社会的養護の課題と将来像」について、今後の国の動向や、所管課である横浜市と協議を重ね、聖母愛児園としての支援体制の構築(ファミリーホーム・地域での小規模グループケア設置)や、それに伴う経営等の多くの課題について対応策を講じていきます。
児童福祉施設の小規模化と家庭的養護の推進は、聖母愛児園にとってイノベーション(変革)の時です。当法人は、創立時より家庭的(母性的)養護を推進してきましたが、当法人の基本姿勢を時代が肯定する形になっています。
現状では、法定外職員も含めた現任職員により1ユニット職員2.75人の配置ですが、児童福祉施設規模の縮小化で、1ユニット職員3人(以上)配置を目指しています。福祉とは、利用者、その家族、支援する人、すべてが幸せ感を享受することに他なりませんが、支援者である職員の職場環境の改善にも効果が見込まれます。
児童福祉施設規模の縮小化は、正にイノベーションであり、本体施設を地域支援の拠点として機能し里親委託推進へと向ける取り組みは、これまで、理想論でしかあり得なかった理論の具体化であり、日本の児童福祉が向かうべき到達点でしょう。

創立者モード・パウラス

1.熊本県近代文化功労者(昭和60年度)モード・パウラス博士

慈愛園の創立者であり広安愛児園の創立者でもあるモード・パウラス先生は、大正9年から昭和34年まで、第二次世界大戦の日米戦時を除いて、35年間、熊本に滞在して社会福祉の発展に寄与し、23施設を創立しました。日本人にキリストを伝え、愛と福祉を高めたその事業と人物について「熊本県近代文化功労者」として顕彰されました。
1889年  北アメリカのノースカロライナ州ババーの片田舎に生まれた。
サレム教会で洗礼を受ける。
*パウラス一家は多子家庭で1男7女の大家族でモードはその5女として生まれた。
1899年  父が疫病にかかって一夜のうちに病死
*母は、9人の子供を抱えた未亡人となり苦労の多い生活が展開された。子どもたちは母親の苦労を見かねて、みんなが力を合わせて働いた。
1900年  日本伝導をしていた宣教師の「キリスト教伝道報告」を読み深い感銘を受け「私は日本に行きたい。そして、日本人の為に働きたい。」と決意する。11歳の時である。
1914年  レイノア・ライン大学卒業、テモテ高等学校の教師となる。
1917年  ニューヨーク神学校に学び、その後、コーネル伝道学校で聖書を学ぶ
1918年  日本来日、東京の日本語学校にて日本語を学ぶ。
1919年  日本福音ルーテル教会では、アメリカ宣教師ネルソン夫人の発案によって、社会事業施設の設置が計画され委員会が設けられた。
1920年  ネルソン夫人に代わってモードが創立委員長に任命される。
熊本新屋敷に家を借りて、2~3人の子供を収容して仕事を始めた。
その後、社会福祉事業が展開されていったが、当時の孤児院では、40人の子供が1棟の寮舎に収容され、午前と午後の2交代制で保母が代わる代わる子どもたちの世話をしていた。従って、そこの子どもたちは母性の愛情を知らず、常に保母が代わるために愛撫の心に飢えていた。そして、家庭生活のことは全然分からないというのが実情であった。
妹のエーネは大学で社会事業を専攻していたが、そこで、家庭主義の小舎制養護の理論を教わっていたため、姉モードに小舎制を勧めたこともあったし、実際に慈愛園の保母として姉に協力したこともあった。
自分の貧困な家庭生活の体験と、妹からもたらされた大学による理論研究が、熊本に独創的なホーム式養護を誕生させた。
これが、熊本における小舎制養護の始まりです。

2.小舎制養護の始まり(慈愛園子供ホーム)

家庭的処遇を第一にするため、家屋は一戸建ての洋館とし、第一ホームから第八ホームまでを設置。ホーム間の間隔は、20~30mとした。ホームの周囲は、畑、花壇、野菜園とし、そのホームに属する耕作地が用意されて、そこに住む保母・児童指導員・児童によって花や畑が作られ、そのホームで消費され、自給自足とは言えないが、出来るだけその精神を生かすように運営されたので、全員がよく働き、児童は保母の手伝いをした。ホーム毎に台所を持ち、現品配給を利用して、児童も小学4年生位から料理当番にでて、全員が食事作りを手伝った。
モードは実家が9人兄弟であったが、1人は15歳で早死したことから、1ホーム子供8人として保母の限界とした。年齢を按配して配置し、保母をお母さんといい、そのホームに住むもので兄弟の交誼がもてるようにした。生活様式のすべてを家庭になぞらえ、家庭的精神要素を多くとりいれる運営を行ったが、これは、日本において独特のものであり、他の小舎制養護の追従を許さぬものがあった。すなわち、日本の児童養護施設のモデル的存在であった。

3.歴史を変えた名称変更

養老院→老人ホーム、母子寮→母子ホーム、孤児院→子供ホームなど、モードは、ホームと言う名称で施設を名付けた。そして、これらは後年、塩谷総一郎先生の発案に関わる老人福祉法案の施設名称をすべて、老人ホームと名付けた起源となっている。その点、日本の近代的運営のモデルと言える。

4.創立に関わった主な児童関係施設

児童養護施設:慈愛園子供ホーム・シオン園・広安愛児園・別府平和園
保育所 :ひかり幼児園・愛光幼児園・愛泉保育園・白羊保育園
盲聾唖児施設:熊本ライトハウス
幼稚園    :めぐみ幼稚園

5.モード・パウラス先生との別れ

1979年  慈愛園創立60年記念式に出席のため、来熊。熊本市長より感謝状の贈呈。
「熊本のみなさんにサヨウナラと言って下さい。」と言ってアメリカに帰られる。
1980年  ノースカロライナの故郷で召天。享年91歳でありました。

6.手記の日本語訳

モード・パウラス先生が米国で出版された手記の日本語訳が「愛と福祉のはざまに」です。

目的の一致のために

この表題は、モード・パウラス著「愛と福祉のはざまに」の151ページにあります。 慈愛園子供ホーム運営の初期の頃、10名の常勤職員と2名の非常勤職員の時代があり個性的で識見を持った働き人のグループであった。個性的な人の集まりは、時には、不調和を招き、その時、パウラス先生が考えたことは!
「子供たちの育て方、老人の養護、一般社会的向上の仮説のなかから、目的の一致を引き出すのが、施設長としてのわたしの義務であった。」
当時の職員たちは、各自、自分こそ慈愛園はいかに運営されるべきかを、他の人よりもよく知っているという確信を持っていた。事実はだれも知ってはいなかった。
また、4名の職員は、10歳から16歳年長であり、彼女たちの意見によれば、自分の子供の子育てをしたことのある自分が、子育てをしたことのないパウラス先生より賢いとの見解を示していた。しかし、パウラス先生の信念は、
「わたしたちは、進歩した知識の社会事業のモデルたるべく任命されたものである。旧いやり方はより科学的、より衛生的な方法にゆずらなければならない。」
でありました。運営的にも、普通一般の風習と、モデルとして模範になる施設を確立する試行錯誤の中間の線を行くのは容易ではなかった。時には、
「あなた方のやり方は何ですか。わたしたちは人々の憐れみはいりません。日本人は、境遇の如何に関わらず、人間は人間であることを学ばなければなりません。」
と気性が燃え上がることもあった。
施設長としてのパウラス先生の元に16歳年長の職員がいた。業務的には有能ではあったが、リーダーには任命しなかった。
「専門的訓練の欠如と共に、他の職員と協調できないためであった。」
パウラス先生は、職員を採用する条件として、
「わたしたちは責任を遂行するために、十分な意志力を持った人がほしい」
との見解を持っていた。
*モード・パウラス先生は、熊本での社会事業の展開や慈愛園運営において、戦前戦後と方針等をバージョンアップしていることが「愛と福祉のはざまに」の中で記されています。勿論、そこには、後に千葉県にて献身的な働きをされた妹のエーネ・パウラス先生の影響も多大にあったことは言うまでもありません。
当時と現在では、時代背景が異なりますが、モード・パウラス先生が、いよいよ日本を去る時、潮谷總一郎先生を始めとした当時の若い人の手に事業をゆだねられて行かれました。それは、同時に今働いている職員の手にもゆだねられていると言うことになります。
創始者の意志を引き継ぎ「目的の一致のために」チームワークを築き上げ、子どもたちの幸せのために事業運営を展開していきましょう。
「モードは、自分の力で、社会事業施設をたくさんつくって、これを経営しているとは少しも思っていません。これは神様のお仕事であると信じています。モードは、神様の手となり足となって働いただけです。だから大きい仕事をしても、少しも誇りませんでした。」
「くるみの実のなるころ」潮谷總一郎著より
2.幼児の躾について「愛と福祉のはざま」171ページ~
①恐怖心をおこさせることが矯正の鞭
②もう一つの鋭い躾の武器は、「みんなに笑われるよ」
③最も残酷で傷つけるやり方は、捨ててしまうというおどしである。
この三点は、モード・パウラス先生が最も嫌った方法です。
日々の子どもたちへの対応の中で、恐怖心を起こさせたり、「出て行きなさい」と叱責したり、「そんなことでは、みんなに笑われたり、馬鹿にされたりするよ。」などの態度や言葉がけをしていないでしょうか。勿論、「様子を見ましょう。」と放任したり、無関心であったりは、パウラス先生の愛の実践から大きく遠ざかります。
「初心忘るべからず」の言葉通り、創始者パウラス先生の愛の実践から溢れ出た教訓を振り返りましょう。

その名前は「ミス、モード・パウラス」です。

ご寄付ご検討中の方はお問い合わせください。 TEL 045-662-8338 受付時間 9:00-17:00(土・日・祝日除く)

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