宮寺信良について

宮寺信良(みやでら のぶよし)氏は、戦後の横浜近郊に存在した児童養護施設の貴重な記録写真を撮影・寄贈した人物です。彼自身もその施設の出身者であり、その活動は日本の戦後史、特に児童福祉の分野において重要な意味を持っています。

児童養護施設「ファチマの聖母少年の町」との関わり

宮寺氏の功績は、神奈川県大和市に存在した児童養護施設ファチマの聖母少年の町」の記録写真を多数撮影し、後世に伝えたことにあります。

施設の出身者: 宮寺氏は、横浜市中区にあった児童養護施設聖母愛児園」および、その分園である「ファチマの聖母少年の町」の卒園生代表でした。彼自身が被写体である子どもたちと同じ境遇にあったことが、その写真に深い意味を与えています。
写真の寄贈: 宮寺氏(洗礼名:レイモンド)は、自ら撮影・保管していたアルバム15冊分に及ぶ膨大な記録写真を、横浜都市発展記念館などの研究機関に寄贈しました。これらの写真は、施設の日常、子供たちの生活、そして施設の歴史を物語る第一級の資料となっています。

「ファチマの聖母少年の町」について

宮寺氏が記録したこの施設は、戦後の日本社会を象徴する存在でした。

設立の背景: 1955年(昭和30年)、カトリックの修道会が運営する聖母愛児園の分園として、男子児童専門の施設として設立されました。当時、聖母愛児園では学齢期に達した男子を継続して養育することが教義上困難だったため、専門の施設が必要とされました。
受け入れられた子どもたち: 入所者の多くは、戦後、占領軍兵士と日本人女性の間に生まれた、いわゆる「GIベビー」でした。彼らは当時、社会的な偏見や差別に直面しており、施設は彼らを守るための場所でした。施設の設立にあたっては、地域住民からの反対運動もあったと記録されています。
宮寺信良氏の写真は、単なる記録に留まらず、戦後の混乱期に社会の片隅で生きた子どもたちの姿を、当事者の視点から捉えた貴重な証言です。彼の活動によって、日本の児童福祉史や戦後社会史の重要な一側面が、今日まで伝えられています。