「聖母愛児園創立65周年お祝いのメッセージ」
社会福祉法人聖母会 理事長 風間まさ子 聖母愛児園創立65周年記念に当たり、社会福祉法人キリスト教児童福祉会様の寛大なご尽力により老朽化した当園の新築工事を無事竣工されましたことを心より感謝し、お礼申し上げます。 当園は昭和20年8月15日第二次世界大戦の終結による社会情勢の激変に伴い、昭和21年4月に一般病院(中区山手町682)の玄関先に幼い子どもが捨てられていたことから始まりました。創立以来、幾星霜(いくせいそう)を回顧してみますと、戦争で如何に多くの罪のない人々が犠牲となったかがわかり、戦争は再び許されるものではないという思いが強く湧いて参ります。この苦難の時代に関わってご支援下さった多勢の方々の並々ならぬご恩は永久に忘れ去られるものではなく、救済にあたって下さった数々の恩人方に幾ら感謝しても感謝し尽くせるものではありません。聖母愛児園をここまで支えて下さった皆様の上に神様の祝福と恵みが豊かにありますように心から願ってやみません。 国際横浜一般病院は昭和10年より昭和26年まで現在の社会福祉法人聖母会の前身、社団法人大和奉仕会の経営下にありました。 戦後、両親を失い家庭に恵まれない大勢の戦災犠牲者の孤児、捨て子、特に不幸な混血児が大勢保護され、病院の一隅に収容され、養育が始められました。人数も次第に増え狭溢(きょうあい)となったため昭和21年9月に神奈川県当局の絶大なるご支援によって当地横浜市中区山手町68番地に乳児院を独立させ、聖母愛児園を創立いたしました。初代園長には大和奉仕会員ルゼンヌ・アンナマリーが就任致しました。 横浜一般病院は横浜開港から僅か8年後の欧米人を中核とする委員会の手によって、明治元年に横浜市中区山手町の外国人居留地に設立され、人々のご寄付のみによって運営された日本最古の国際病院でした。開港以来、横浜は日本の国際貿易の中心地として最も栄えた港町で知られるようになり、第二次宣教時代に入って最初の宣教師が再上陸し、初めての教会を建てた場所としても重要な位置を占めていました。 当時、聖母愛児園の経営主体は、明治30年頃に、熊本でハンセン病の救済に当たっていたカトリック司祭ジャン・マリー・コール師より招聘を受けて来日した私どもマリアの宣教者フランシスコ修道会の外国人会員5人がはじめた当修道会の社会事業に端を発しております。その後、行路病死者の遺児・路傍に捨てられた老婆を求められるままに収容し、児童養護施設・老人施設が次々と設立され日本各地に広まった修道会の事業を包括して、昭和4年、内務大臣より「社団法人マリア奉仕会」として認可されました。横浜には、昭和9年英国領事を委員長とする国際病院管理委員会から外国人のために働く看護修道女の派遣を求められたことにはじまりました。 戦争による戦火の激しい昭和19年1月、国際一般病院は財団法人横浜一般病院として診療業務を継続することになりましたが、山手地区一帯が外国人立入禁止区域に指定されたため、外国籍の看護修道女は抑留され、病院事業も苦境に立たされました。法人名も「社団法人大和奉仕会」として名称を変更、昭和25年4月1日聖母愛児園は養護施設として認可され、昭和27年3月、わが国に社会福祉法が施行され、昭和27年5月24日「社会福祉法人聖母会」としての認可を受けました。その後、建物に白蟻が蔓延したため昭和32年3月定員120名の鉄筋コンクリート3階建に改築しました。 その後、日本社会も経済成長によって児童養護施設入所対象児童が大きく変わり、家庭崩壊、子どもへの虐待、低学年犯罪者が増加しました。そのため将来性のある子どもの養育が重要となり聖母愛児園にも専門的教育性が求められるようになりました。私たちは当園をよりふさわしく継承して下さる方を検討しました。社会福祉法人キリスト教児童福祉会は昭和22年アメリカルーテル教会、モード・パウラス宣教師が熊本旧陸軍演習所用地で、戦後大勢の家庭のない子どもたちの救済にあたられ、昭和24年養護施設「慈愛園」として熊本県知事に承認され、昭和28年厚生大臣の認可を受け、早い時期から小舎制養護を手がけられ、平成15年情緒障害児短期治療施設を開設されておられました。 法人所在地は熊本県上益城郡益城町古閑73で聖母会の熊本の児童養護施設運営に指導・協力して下さった法人です。平成12年キリスト教の精神のもと、小舎制を取り入れて運営をしておられるキリスト教児童福祉会から森 勉元園長、現園長夫妻に出向して頂き譲渡の運びとなりました。この度、新園舎落成の良き日に聖母愛児園65周年記念を迎えることができましたことをお祝いし心より感謝申し上げ、神の豊かな祝福のうちに、聖母愛児園が益々発展されますことを心よりお祈り申し上げお祝いのことばといたします。
創立65周年祝辞
前聖母愛児園施設長 森 勉 聖母愛児園、六十五周年記念を心からお祝い申し上げます。新園舎の落成も重ね心よりお慶び申し上げます。 私は、平成十四年四月から、聖母愛児園の施設長を拝命し、七年間子どもたちと生活を共にいたしました。 七十名の二歳から高校生までの、しかも女児ばかりの児童養護施設でありましたが、生活を共にしながら、子どもたちの心に寄り添うことを第一義に考えて日々を過ごして参りました。平成十九年度で退陣し後任に、その責を譲りました。 聖母愛児園は法人移管と言う転換期を迎え、社会福祉法人「聖母会」の一施設としての歴史を引き継ぎ、平成十七年十月からは、社会福祉法人キリスト教児童福祉会の一施設として、今日を迎えております。 聖母愛児園のモットーは、キリスト教精神に基づき、神の家族として明るい雰囲気の中で児童一人ひとりの個性を尊重し、児童の持っている素質を十分に伸ばすことです。園に迎え入れる子どもたち、園の職員ひとりひとりは子どもたちを迎える立場ですが、家族として、子どもたちひとりひとりに寄り添って、生活を営んでいきます。家族になると言うことは、職員の側も、子どもたちの側も大変な努力が必要であり、自分との闘いが必要です。その闘いはひとりで闘うのではありません。相手の子どもたちも職員以上に闘っているのです。それに気づいてやれる感受性を育てて下さい。新しく入園する子どもたち、新しく就職する職員たち、児童養護施設は家族になるためのコミュニティです。そして、自分自身を育てる場でもあります。 結婚して、相手の家に入ることに似ています。相手の家の家族になることは、そんなに簡単な事ではありません。味、塩加減、掃除の仕方ひとつでも、相手の家族の流儀があります。その流儀を学ぶまでに、色々な努力、学習があります。児童養護施設という職場は、そのような人生の学校、道場です。元気を出して、元気!!、元気!!、元気!!とかけ声を!!
主のみ旨の継続に感謝
聖母愛児園元施設長 新垣政子 聖母愛児園創立65周年及び落成式を心からお祝い申し上げます。 半世紀以上の歩みである聖母愛児園を「大木」にたとえれば、昭和21年に小さな芽を出し、平成16年迄の59年間は社会福祉法人聖母会によって育てられてきました。その後、この「大木」は平成17年より社会福祉法人キリスト教児童福祉会へと「つぎ木」され、今ではみごとに神様のお望みになる方向へとすくすく成長している摂理的な不思議さの実現を感じております。 この長い歴史の中で、子ども達が先輩の旧職員、現職員、地域の方、多くのボランテアの方々のご厚意、支え、励まし等に恵まれてきたこと、育てられてきたことを神様に感謝しています。 実は、私もこの「大木」の成長過程における聖母愛児園で11年間過してきたことを思い出しています。あんなこと、こんなことがありました。それは時には、嬉しかったこと、楽しかったこと、失敗したこと、私の力不足からご迷惑をおかけしたこと、チャレンジしたこと等がありました。「すべてを益にして下さる神様」のお陰でしょうか、今では、全ての出来事が良い思い出として 懐かしく心に残っています。 又、私が関わった頃の子ども達は、色々と苦労の体験をしながらも今では立派な社会人として自立し頼もしい限りです。又、お母さんとして子育てに励んでいる卒園生もいます。このような状況にあるのは、本人の頑張りもありますが、職員、善意の方々の支えのお陰でもあると感謝しております。 さて、この度、落成式にあたりキリスト教児童福祉会理事長の 森 勉牧師様を初め、現施設長の○○様、事務長の○○様、職員の方々には新築の際、色々な面でご苦労をなさりながら、今日の日を迎えられたことはどれ程大きな喜びでしょう。改めて感謝の心で一杯です。子ども達を育てる環境の一環としての小舎制の家庭的な雰囲気の設計は子ども達にも安心感を与え、情緒面におおいにプラスになるのではないかと喜んでおります。家庭的な毎日の繰り返しの生活は、将来子ども達が家庭生活をおくる為の助けになることでしょう。そして、聖母愛児園を巣立った子ども達が実家である聖母愛児園に帰ってくる時は懐かしい「大木」で一休みし、癒され、パワーをもらって益々元気になるのではないでしょうか。 最後に、聖母愛児園の歴史を大切に継続して下さるキリスト教児童福祉会の皆様の働かれるこの事業は、昔も今も将来も変ることなく、大地の栄養分を沢山蓄えながら「大木」として神様のみ旨にそって成長していくことを信じ、期待しています。そして、子ども達のシンボルとしての沢山の葉も茂らせ、ひとり一人の子ども達が幸せになることを願いながら社会に送り出していかれることでしょう。 今後、聖母愛児園の益々のご発展の上に神様の祝福をお祈り致します。
横浜修道院
私たちの修道院は、 2009年に明治開港150周年を迎える歴史の町、横浜、山手の丘に建っています。周辺にはプロテスタントやカトリックの教会、修道会とそれらが経営するミッションスクール、中華学校などが並び、開港時の外国人居留地としての情緒豊かな文化と面影を今に伝えています。しかし、一方ではこの丘の下には寿町があり、そこには職を失い家族から離れ、路上生活を強いられている人々が住んでいます。 修道院から東に歩を向ければ、開国以来、教育、文化、産業などに貢献した様々な国の人々や、宣教師たちを偲ぶ「外国人墓地」があります。西に歩を進めば、私たちが所属する山手カトリック教会(横浜教区司教座聖堂)があります。この教会は1862年に外国人居留地に開国後最初の天主堂として建てられましたが、その後の移転、再建によって現在の聖堂となり横浜市の歴史的建造物に指定され、多くの人々が訪れています。 私たちが最初にこの山手の地に呼ばれたのは1935年12月28日、日本最古の国際病院「横浜一般病院」から委託された外国人の医療奉仕の為でした。このために派遣された最初のシスターたちは、フランス人2人、ルクセンブルグ人、ベルギー人、ユーゴスラビア人、日本人という国際的な6人で、聖ヨゼフを保護者と仰ぐ修道院を開設することになったのです。院長のSr.M.ロベルトは修道院日誌の第1ページに「…雪がちらつき、太陽なし。でも私たちのポケットには太陽が一杯詰まっている。日本にまた一つ主のお住まいが増えた。…」と記しました。その後、第2次世界大戦中の苦難を経て、戦後になると病院玄関前に捨てられた戦災孤児のお世話をしたことから1946年にベビーホーム「聖母愛児園」を開き、1950年には児童養護施設の認可が得られました。この頃私たちは一般病院から手を引き、聖母愛児園が共同体の主な使徒職となって、多方面にわたる暖かな援助を頂きながら、様々な苦しみを抱えた子供たちや彼らを支える職員と共に歩んできました。 しかし、2005年、これをキリスト教児童福祉会に移管し、現在は「聖母愛児園」も私たち横浜修道院もそれぞれに新しい歩みを踏み出しました。 この4月に私たちの共同体は4人で出発し、カトリック山手教会の一員として多くの方々と共にミサに与り、祈り、出会い、様々な関わりの場を頂いています。たとえば教会事務所、国際グループ、ホームレスの方々のための奉仕、教会の庭掃除、典礼奉仕などなど。これら私たちにできる奉仕を通して主の恵みをわかちあい、神の国をより多くの方々に伝える機会を頂いていることを感謝し、喜んでいます。また、病人訪問、聖母愛児園の卒園生・職員との関わりなど、私たちのもとを訪れてくださる方々との交流も大切にしています。 このような教会での奉仕や周りの人々との交わりを通して、私たちFMMが神様から託されている「世界宣教」に参与するものであること、またこのささやかな宣教活動を活気付けているものは、聖体礼拝と深い祈りにおける神様との一致、そして、お互いの弱さと違いを認め合い支え合う姉妹的な交わりであることを痛感しています。 私たちをこの道に呼んでくださったキリストに感謝し、今後も神様が貧しい私たちに求めておられることを祈りと現実の中で探し、共同体としてフランシスコのように苦しむ兄弟姉妹との連帯に生きたいと願い、支えを必要とする人々との関わりを大切にしていきたいと思っています。
法人設立の理念の継承
福祉現場を支えているのは「人」であり、その「人」を育んでいくのは「組織」となり、その組織の根本が社会福祉法人の「理念」と言える。
「人」「組織」「理念」が点となり、点と点が繋がり線となる。その線が利用者へと繋がり、初めて適切な支援・サービスへと展開していくのである。
しかし、点と点の間の線が切断されていたら…。それは、職員チームワークの崩壊へと繋がっていく危険性を秘めている。線が太ければ安定した柱となるが、線が細かったり切断されていたら、築き上げてきたものが崩壊していくのである。
築き上げてきたものとは何であろう。それは、歴史であり理念の継承であり蓄積された技術のノウハウであり社会福祉事業への志であろう。
「このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。」(コリント人への第一の手紙13章13節)
どんなに社会が変化しても時代が移ろおうと絶対的に変化しないのが理念であろう。
法人の歴史を踏襲し、現代に応じた宗教との関係を模索していく。職員及び子ども達の意思を尊重し、信仰、宗教行事参加、宗教に関わる活動について強要を決して行わない。但し、現代社会を生き抜いていくためには、精神面、心理面での成長だけではなく、魂の質の成長も求められる。そこに、理念が必要なのである。
理念を継承したとして、その結果が有益でなければ適切な利用者支援へと繋がっていかないのである。では、有益な結果とは如何なる事であろう。それは、職員一人一人の信念との同調である。その時、初めて理念の継承が大いなるパワーへと変換していき堅牢な柱が構築されるのである。この様な現象を表現しているのが「一枚岩」であろう。
その為には、まず、施設長を始めリーダーとなる職責の職員が、信念(心)を込めて理念を伝えることが重要となる。信念のない言葉は、相手に伝わらないばかりか、不信を招く恐れもある。しかし、信念によって構築された言葉は、理解や納得を引き起こし、それが、スムーズな違和感のない利用者支援へと繋がっていくのである。
例えば会議に於いてディスカッションが成されているだろうか、司会者と報告者の発言で終始しているようでは「一枚岩」とは言えない。職員一人ひとりが利用者のために自信と責任を持って発言できる雰囲気が会議室を充たした時、信念の同調(共通理解)を体感し、より高度な利用者支援、業務遂行へと発展していくのである。
福祉も当法人も、全ての根本は「愛」である。従って業務全般の方向性の終着点も「愛」に尽きるのである。この「愛」は古今東西、共通した真理であり、私たちは、自信と責任を持って、法人理念を継承していくことが出来るのである。
最後に、聖書にこう記されている「愛はいつまでも絶えることがない」(コリント人への第一の手紙13章8節)