沿革 概要
横浜に根差す児童養護施設「聖母愛児園」。その歴史は、終戦直後の混乱期にまで遡ります。戦争の傷跡が色濃く残る横浜の地で、子どもたちの命と未来を守るために設立されたこの施設の沿革をまとめました。
終戦直後の誕生と混血孤児の受け入れ
聖母愛児園の歩みは、1946年(昭和21年)4月、横浜市中区山手にあった横浜一般病院(現在のブラフ・クリニックの前身の一つ)の玄関先に、置き去りにされた一人の子どもを保護したことから始まりました。この出来事をきっかけに、同年5月31日、カトリックの「マリアの宣教者フランシスコ修道会」を母体とする社団法人マリア奉仕会(後の社会福祉法人聖母会)によって、児童福祉事業として正式に創立されました。
同年9月には、神奈川県の支援を受け、現在地である横浜市中区山手町68番地に乳児院として独立。これが「聖母愛児園」の本格的なスタートとなります。
当時の日本は、連合国軍の占領下にあり、進駐軍兵士と日本人女性の間に生まれた、いわゆる「混血孤児(GIベビー)」が社会問題となっていました。聖母愛児園は、こうした子どもたちを分け隔てなく受け入れ、その保護と養育に尽力しました。記録によれば、海外、特にアメリカへの養子縁組も積極的に行われ、多くの子どもたちが新たな家庭へと巣立っていきました。
事業の拡大と変遷
施設の需要が高まるにつれ、聖母愛児園はその規模を拡大していきます。
1950年(昭和25年):児童福祉法に基づく養護施設としての認可を受ける。
1955年(昭和30年):男子児童のための分園として、大和市に「ファチマの聖母少年の町」を開設。広大な敷地でのびのびとした養育環境を提供しましたが、この分園は1971年(昭和46年)に閉鎖されました。
1957年(昭和32年):本園の新園舎が竣工。
1966年(昭和41年):鉄筋コンクリート3階建ての幼児棟と職員宿舎を増築。
1977年(昭和52年):社会状況の変化に伴い、乳児の入所が減少したため、乳児院としての役割を終えました。
運営母体の移管と現在
長年にわたり、社会福祉法人聖母会が運営を担ってきましたが、2005年(平成17年)に大きな転機を迎えます。施設のさらなる発展を目指し、熊本県を拠点とする社会福祉法人キリスト教児童福祉会へ運営が移管されました。
法人移管後も、聖母愛児園はその理念を継承し、施設の改築などを経て、現代のニーズに合わせた養育環境の整備を進めています。現在は、本園のほか、地域小規模児童養護施設(グループホーム)を運営し、より家庭的な環境でのケアにも力を注いでいます。
戦後の混乱期に産声をあげ、社会の変遷とともにその役割を柔軟に変化させながら、一貫して子どもたちの福祉に貢献してきた聖母愛児園。その歴史は、横浜の戦後史の一側面を物語る貴重な記録でもあります。
年号 西暦 主な出来事
昭和21年 1946年 4月、横浜一般病院で子どもの保護を開始。5月31日、創立。9月、現在地に乳児院「聖母愛児園」として独立。
昭和25年 1950年 養護施設として認可。
昭和27年 1952年 運営母体が「社会福祉法人聖母会」に名称変更。
昭和30年 1955年 大和市に分園「ファチマの聖母少年の町」を開設。
昭和32年 1957年 本園の新園舎が竣工。
昭和41年 1966年 幼児棟、職員宿舎を増築。
昭和46年 1971年 分園「ファチマの聖母少年の町」を閉鎖。
昭和52年 1977年 乳児院を閉鎖。
平成17年 2005年 運営が社会福祉法人聖母会から社会福祉法人キリスト教児童福祉会へ移管。