横浜一般病院(THE YOKOHAMA GENERAL HOSPITAL)の歴史と聖母会との関連

 「THE YOKOHAMA GENERAL HOSPITAL」は、その歴史を1863年(文久3年)に外国人居留民のための公共病院「YOKOHAMA (PUBLIC) HOSPITAL」として設立されたことに遡ります。その後、1867年(慶応3年)には山手のオランダ海軍病院が「THE YOKOHAMA GENERAL HOSPITAL」に改組され、外国人居留地における公共的な病院として再建されました。ここでは、外国人だけでなく日本人医師も治療を受け、学ぶ場となっていました。

聖母会と病院の直接的な関係は、戦時中の動きに見られます。

1935年(昭和10年): 聖母会の前身である「社団法人マリア奉仕会」が、THE YOKOHAMA GENERAL HOSPITALの責務を受託した時期があります。
1942年(昭和17年): THE YOKOHAMA GENERAL HOSPITALは敵産に指定され、日本の大蔵省に接収されました。
1944年(昭和19年): 「財団法人横浜一般病院」が設立認可され、敵産として接収された国有財産たる病院財産が無償譲渡されました。
1945年(昭和20年): 終戦後、横浜一般病院の山手病舎は連合軍に接収され、再び欧米人による運営となり、THE YOKOHAMA GENERAL HOSPITALの名称に戻りました。
そして、この歴史の中で特に重要なのが、戦後の混乱期における児童養護施設「聖母愛児園」の設立経緯です。
1946年(昭和21年)4月: 横浜一般病院の玄関先に子どもが置き去りにされているのを発見し、病院の一角を利用して、その子どもたちの収容・保護を開始しました。
1946年(昭和21年)5月31日: この児童福祉事業が正式に創立され、「聖母愛児園」が誕生しました。
このように、「横浜一般病院」は、戦後の混乱期に多くの戦災孤児や置き去りにされた子どもたちを受け入れる拠点となり、それが後に社会福祉法人聖母会が運営する児童養護施設「聖母愛児園」の起源となったという深い関連があります。

 聖母会は児童養護施設や高齢者介護施設などを運営するに至っています。聖母会は、現在、東京の聖母病院をはじめ、横浜市戸塚区の高齢者介護総合センター聖母の園など、全国で多様な医療・福祉施設を運営する社会福祉法人となっています。

横浜一般病院 沿革

1867年(慶応3年)

 「THE YOKOHAMA GENERAL HOSPITAL」を欧米人を中核とする委員会によって、横浜市中区山手町に設立。

1942年(昭和17年)

6月5日
 GENERAL Hは敵産管理法施行令第3条第4項に基づき大蔵大臣より敵産に指定された。(敵産管理人三菱信託株式会社)

1943年(昭和18年)

6月
 GENERAL H(以下横浜一般病院と記載)病院委員会は1月21日の会議で改組に関する日本帝国政府の計画に原則的に同意したと、日本側(外務省)に通報した。新しく構成された委員会の委員は日本人6名、外国人4名
9月15日
 財団法人横浜一般病院設立に関し、厚生大臣宛申請書提出

1944年(昭和19年)

1月20日
  「財団法人 横浜一般病院」設立認可、大蔵省は敵産として接収した国有財産たる病院財産を本財団法人に無償譲渡、2月22日登記
3月
 山手地区外人立ち入り禁止海軍の要請により病院を横須賀海軍病院に賃貸、代わりに横浜関内にある関東病院を買収、移転(3月23日)。診療科は内科、外科、産婦人科、X線科、開業準備期間をおいて診療開始は7月1日

1945年(昭和20年)

5月29日
 横浜大空襲病院周辺は焼夷弾攻撃により、見渡す限り焦土と化したが病院は職員の奮闘により、一部の病室を除き焼失をまぬかれた。わずかに残った建物はニューグランドホテル、横浜正金銀行、県庁、横浜一般病院ぐらいであった。
8月15日
 太平洋戦争終了、28日連合軍進駐、30日マッカーサーホテルニューグランド入り横浜一般病院山手病舎(分院)は進駐軍に接収され、病院は欧米人の運営に復帰。

1946年(昭和21年)

7月1日
 山手地区の病院は寄付行為変更、THE YOKOHAMA GENERAL HOSPITALと元通りの名称に戻る。なおこの病院は昭和25年(1950)The Bluff Hospitalと改称した。

横浜一般病院

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