聖母愛児園に関する報道記録
聖母愛児園は、戦後の横浜における「混血孤児」や戦争孤児の保護活動を担った重要な民間児童養護施設として、報道や研究の中で徐々に注目を集めてきました。
特に2015年以降、横浜都市発展記念館などによる調査が進み、同園に関する報道記録や歴史資料が整理・公開されるようになりました。
たとえば、当ページでは、1940年代から2010年代にかけての新聞記事やテレビ報道(例:『婦人民主新聞』『NHKニュースおはよう日本』など)をPDFで閲覧できるようになっており、「GIベビー」や「混血孤児」に関する社会的関心の変遷がうかがえます。
また、横浜都市発展記念館の紀要では、聖母愛児園とその分園「ファチマの聖母少年の町」が果たした役割について、一次資料や関係者の証言をもとに詳細に分析されています。報道では長らく影の存在だった同園ですが、こうした研究と報道の積み重ねによって、戦後福祉史の中での位置づけが再評価されつつあります。
聖母愛児園の歴史には、戦後日本の社会福祉や国際関係、そして人道的支援の在り方を映し出す重要な出来事がいくつもあります。以下にその中でも特に象徴的な出来事をいくつかご紹介します。
主な出来事とその意義
- 1946年 創設
- 終戦直後、横浜の病院玄関先に捨てられた乳児を保護したことがきっかけで、聖母愛児園が誕生しました。戦後の混乱期における民間の人道的対応の象徴です。
- 1946〜1950年代 混血孤児の大量受け入れ
- 占領軍兵士と日本人女性の間に生まれた「GIベビー」や混血孤児を多数受け入れ、1952年の厚生省調査では全国最多の保護実績を記録しました。これは国際的・社会的に極めてセンシティブな問題でありながら、同園が果たした役割の大きさを物語っています。
- 1950〜1960年頃 アメリカへの国際養子縁組
- 約250組のアメリカ家庭との養子縁組が成立。日本国内での差別や制度的限界を超えて、子どもたちに新たな人生の機会を提供しました。
- 1955年 分園「ファチマの聖母少年の町」設立
- 男児のための分園が大和市に設立されましたが、地域住民の反対運動もあり、1971年に閉鎖されました。この出来事は、福祉施設と地域社会の関係性を考える上で重要です。
- 2005年 法人移管と再出発
- 聖母会からキリスト教児童福祉会へ運営が移管され、キリスト教精神を継承しつつ新たな体制での運営が始まりました。
報道記録:GIベビー 聖母愛児園新聞等の報道記事をPDFにしています
8 GIベビー案内板、市が削除し書き換え神奈川新聞20150812
公益財団法人横浜市ふるさと歴史財団 横浜開港資料館・横浜都市発展記念館 主任調査研究員 (近現代歴史資料課学芸担当係長)論文
⇓
戦後横浜の「混血孤児」問題と聖母愛児園の活動
『横浜都市発展記念館紀要』 (17) 2022年3月
戦後横浜における戦争孤児・「浮浪児」の実態―日本厚生団ボーイズホーム資料群の分析より―
『横浜都市発展記念館紀要』 (17) 2022年3月
戦後横浜の戦争孤児を保護した民間児童養護施設
『横浜都市発展記念館紀要』 (13) 2017年3月
戦後横浜の社会福祉事業-引揚者、浮浪児・戦争孤児、「混血孤児」の保護を中心として-
『横浜都市発展記念館紀要』 (12) 2016年3月
戦後「混血児問題」における<反人種差別規範>の形成
有賀ゆうアニース