時代の正体「GI」ベビーの実像 消された〝天使〟たち
カナコロ 2015年8月12日
戦後の占領下に進駐軍と日本人女性の間に生まれた「GIベビー」。望まない形での誕生もあったとされ、孤児になったケースも少なくない。小さな命はどのように扱われ、亡くなっていったのか。横浜市中区山手町の児童養護施設「聖母愛児園」に保管されている台帳の記録から実像を追った。
聖母愛児園は乳児院として1946年に開設。51年のサンフランシスコ講和条約締結時までに1062人を預かり、1割を超える122人が死亡した。
入所するGIベビーがどのように生まれ、施設に預けられたか。児童相談所が保護者から聞き取った記録が残されていた。
50年11月16日付の「児童入所について」には、市内に住む16歳の母親が生後1カ月の男児を施設に預けたと書かれている。
この母親は同年1月、進駐軍の調理師だった祖父と中区長者町の停留所近くで待ち合わせていた。「顔見知りの黒人が通りかかって実母を無理に自動車内に押(おし)込み関係した。帰り際に300円くれた」と記す。
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